空中庭園の誕生

古代都市バビロンの遺跡にはここが空中庭園の跡といった意味の説明をした立札があります。また、サマラの塔はあの美しい、天に昇るための階段の塔となっています。そして、ユカタン半島のマヤの遺構であるテイカルのピラミッドも、バビロンの廃墟やサマラの塔と、同類の建築であると思われます。急傾斜の階段を上がってゆき、その頂きにたどりつくと、眼前に広がるおそろしいまでに美しい風景。このピラミッドは、頂部が、ジャングルの樹冠面の上に出るように造られているのでです。そこにあったのは、まさしく空中庭園だったのではないでしょうか。
こうしてみると、バベルの塔、ヘラクレスの柱、アレキサンドリアの燈台といった伝説の建築も、実は、空中を庭とするような願望から造られたのではないかと思えてきます。さらに、『ガリバー旅行記』の「ラピュタ島」も、アラビアンナイトの『空飛ぶ絨緞』、さえも、ひとつの源から起こってきたことのようでさえあります。建築の系譜をたどろうとすると、その組み方はさまざまでしょうが、空中庭園は人々の想像力をかきたてるひとつの力であると言えます。地域や時代を超えて、空中庭園幻想なるものがあって、人々の想像力の源泉になっているように思います。

すなわち、新梅田シティは人類共通の願望である「空中庭園幻想」を現代の都市に実現しようとするものです。こんな発想から、空中庭園をもった連結超高層建築は、高さ170メートルあたりで、外に出ることをひとつの目標にして建てられました。空中庭園とは具体的には大阪という都市の風景であり、都市の上空を吹く風です。そして、歴史を通して造りつつある、ひとつの想像の中の庭なのです。この庭園は人々が空を共有しながら生きたひとつの記念であり、私たちはそうした意味で空中庭園と呼んでいます。

そして、私たちは空中都市なるものを遠望しながらこの建物を造ってきました。空中庭園にいたるまでのエレベーターや空中エスカレーター、建物を結んでいる空中ブリッジ、屋上の空中庭園の展望台、建物のあちこちにあるテラスなど、やがて出現するであろう未来都市の道具立てになればと考えてきました。つまり、限りなく展開してゆくであろう未来の空中庭園の設計活動の所在を、より明確なかたちで示したいと願ったものです。

この空中庭園幻想なるものの説明を〈空中庭園幻想の行方〉として空中庭園内に展示しています。また、私たちの想像にある、この建築から「飛び去った宇宙船」の設計図の一部分が東棟および西棟の1階ロビー天井照明の模様になっています。

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